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東京地方裁判所八王子支部 昭和42年(わ)422号 判決 1971年10月15日

主文

被告人は無罪

理由

本件公訴事実は、

被告人は昭和四二年一月二五日午前一〇時四五分頃、東京都立川市柴崎町三丁目一番一号立川警察署南口巡査派出所内において、斉藤功(当時二三年)と面談中、同人の言動が気に入らぬとして、右手拳で同人の右側頭部を殴り、もつて暴行を加えたものである。

というのである。

よつて案ずるに、

証人斉藤功の「第八回、第九回、第一〇回、各公判に於ける各証人尋問調書、第二〇回、第二二回、各公判に於ける各証言」、証人渡辺勝也の「第一〇回、第一一回、各公判に於ける各証人尋問調書、第二一回公判に於ける証言」、証人寺沢士郎の「第一一回公判に於ける証人尋問調書、第二一回公判に於ける証言」、並びに、被告人の第二三回、第二四回、各公判に於ける各供述を綜合すると、昭和四二年六月一四日付訴因変更請求書に記載の日時場所に於て、記載のような事態が発生したことは明らかである。しかし被告人の所為をもつて「暴行」というについては疑いがある。

前掲各証拠と、昭和四三年二月九日付、昭和四五年一一月一三日付、各検証調書によれば、次のことが認められる。

本件発生の前日、すなわち昭和四二年一月二四日の夜、被告人は友人の池田進宅(立川市曙町二丁目)に一泊したのであるが、翌二五日の本件当日の朝になると、二、三日前からの急性胃炎が再発したためか、腹痛で吐き気、めまい、を覚えたので、勤先の立川郵便局に、電話で、病院に診察治療を受けに行くから出勤が遅れる旨断つた上、立川市内の第一相互病院に向つて右曙町の友人宅を出たのであるが、その途中午前一〇時すぎ、市内の緑川にある市営駐車場に近い立川バス、ハイヤー部の前付近路上で、立川警察署北口巡査派出所の警ら係斉藤功巡査の職務質問を受けたのであつた。当時立川市内は空巣の被害が相次ぎ、警察はこれが予防と犯人の検挙に力を入れ、このため斉藤巡査も、この朝、右北出口派出所付近を中心に警ら中であつて、被告人が背広の上にジャンバーを着て、その左胸内ポケットに何かを入れているように脹らませ(当時衆議院議員の選挙が真近かで、被告人は日本共産党衆議院議員予定候補者一覧の小冊子二、三冊―昭和四三年押第一八二号符号六はその一冊と認められる―、労働組合関係のビラ数枚が入つていて、ジャンバーの下の背広のポケットには選挙関係のビラ数枚が入つていたのである)、両手をジャンバーの表ポケットに突込んで前屈みに歩いているのを目撃し(被告人は腹痛をおさえていたのであるが)、賍物を持つた空巣犯人ではないかとの疑いを抱き、尾行の末、挙動不審と見て、前示場所で被告人に職務質問をしたところ、これに対して被告人は、行先は駅、住居は曙町二丁目(三丁目?)と答えただけで、氏名はおろか勤先もいわないので益々疑惑を深めた矢先、被告人が国電立川駅北口に向つて走り出したので、慌てた斉藤巡査はこれを約一〇米追つて追いつき、被告人の肩に手をかけ、悪いことをしていないのであれば逃げる必要はないとしてさらに行先を問い質すと、今度は、諏訪神社の方に行くと答えたので、諏訪神社の方に行くのであれば、立川駅北口の方からが近いから駅北口前にある北口派出所まで同行され度い旨、ここに斉藤巡査は被告人に対して任意同行を求めたのであつた。しかし被告人は何処へ行こうと勝手だ、立川駅南口の方から中央病院(立川市柴崎町二丁目)に行くのだと言い張つて応せず、中央病院に行くにしても駅北口の方からが早いからと、なおも斉藤巡査は北口派出所への同行を求めたが、被告人が容易にこれに応ずる様子を見せないので、やむなく駅南口の方から中央病院に行く途中の駅南口横の南口派出所への同行を求めたところ、被告人は無言の儘駅南口への道を歩き始めたので、斉藤巡査は被告人と肩を並べあるいは被告人の右後方になつたりし乍ら、斉藤巡査が前示のように被告人を追つて追いついた地点、すなわち同市曙町二丁目二二番二一号付近から同番一五号付近の国電地下道をくゞり、同市錦町一丁目一番一〇号付近に至つて右折し、同市柴崎町三丁目二番二六号付近をさらに右折して、駅南口を正面に見て駅入口左側の同町一番一号所在南口派出所に至るまで、約八〇〇米強を歩いて、この間、斉藤巡査は再三に亘つてなおも被告人に胸のポケットの中のものを見せるよう求めて果さぬ儘、ともども同日午前一〇時半すぎ同派出所奥の待機室に入つたのである。そして右待機室において、住居氏名など職務質問を繰り返すうち、斉藤巡査が被告人の左胸を軽く叩いてここに何が入つているのかと質すや、次いで胸の内ポケットに手を入れて中の前示小冊子などを取り出す気配と察した被告人は、矢庭に斉藤巡査の右側頭部に向つて右手拳の甲を飛ばしたのである。本件の経緯は以上のとおりである。

ところで前示のように、当時立川市内に空巣窃盗が頻発していたこと、その時の被告人の風体、さらに再三の職務質問にも氏名勤先を答えず、ポケットの中のものをも見せることを頑強に拒んだこと、などからすれば、斉藤巡査がその職掌柄、被告人がそのような犯人でないのであれば職務質問にも素直に応じ、進んでポケットの中のものを見せて何の支障もあるまいと考えたとしても無理からぬところであり、また一般人が見ても、被告人の当時の風体挙措動作には、斉藤巡査ならずとも不審の念を抱いて不思議はないと思われる上に、前掲各証拠によれば、斉藤巡査が最初被告人に職務質問した場所は、当時も交通頻繁で人通りが多かつたことが認められるから、その場で質問を続けることは本人に不利で交通の妨害にもなることは明白であつて、従つて斉藤巡査がその職責上、被告人に対してその場で任意同行を求めたのは蓋し至当の措置といつて差支えない(警察官職務執行法第二条第一項、第二項)。

ところがその後、被告人が斉藤巡査の求めに応じて、任意に同行されたか否かについて考えると、証人櫛田妙子の第一三回公判における証人尋問調書、前掲二通の検証調書、並びに被告人の供述を精査すれば、先づ、前示被告人が斉藤巡査から最初に職務質問を受けた直後、立川駅北口方向に向つて走り出して斉藤巡査がこれに追いついた時、側のコンクリート棚にしがみついて同行を拒む被告人の右腕を掴んで無理に同行しようとした疑い、駅南口方向に向う途次、同市錦町一丁目一番一〇号付近で、被告人が同町一丁目二番一三号方向に直進しようとするのをその右腕を掴んで強いて駅南口方向に右折させようとした疑い、その後、駅南口を真正面に見る同市柴崎町三丁目二番二六号の四ツ角においても、被告人の意に副わぬ儘、その腕を掴んで直進しようとする被告人を右折させて駅南口派出所前に連行した疑い、さらに、前掲証人斉藤功、同渡辺勝也、同寺沢士郎の各証人尋問調書、各証言を併せると、同派出所入口において、被告人が急に同派出所に背を向けて立ち去る気配を見せるや、それと察した斉藤巡査は、同派出所に勤務中の他の二人の巡査(渡辺勝也、寺沢士郎)の応援をも得て、強いて被告人を同派出所奥の待機室に連れ込んだ疑い、以上のような疑いが濃厚となるのである。この疑いと前示本件の経緯から見れば、少くとも被告人が易々諾々と斉藤巡査に同行したとは到底思えず、恐怖感と諦めの気持からやむなくついて行つた旨の被告人の供述は、証人野崎英男(被告人の父)の証言、第一三回公判における証人池田進(前示被告人の友人)の証人尋問調書、並びに被告人の当公廷における挙措動作、その応答態度などから窺われる被告人の寡黙温順な性格からしても、強ち虚言として一笑に付することが出来ない。そうだとすれば、本件における斉藤巡査の被告人同行は任意同行というには疑いがあり、むしろ令状によらない違法な強制連行というべき色彩が強いといわざるを得ないのである。証人斉藤功の前示各証人尋問調書の記載、及び各証言中、任意同行である旨の供述部分、これを裏付けるような具体的事実の供述部分は、被告人の供述と対比するとき全面的には措信出来ない。若しこれを任意同行であるというのであれば、それに引き続いてなされた右待機室における職務質問は適法な公務の執行であつて、その際被告人が斉藤巡査に本件暴行を加えたということになる筈であるから、起訴検察官はすべからく被告人を公務執行妨害罪をもつて起訴すべきが当然かつ至当の措置であると思えるのに、敢えて暴行の起訴にのみとゞめ、その後これが訴因を公務執行妨害に変更請求した形跡がないことからすれば、検察官自らが強制連行の疑いを持つていたと推認されてもやむない仕儀であろう。この点斉藤巡査は職務熱心のあまりとはいえ、警察官職務執行法第二条第三項に違背して違法に被告人を強制連行した疑いがあるというべきである。

しかしそうだとしても、その故に直ちに本件が無罪であるといえないことはいうまでもない。要はこのようにして強制連行された疑いのある被告人の駅南口派出所待機室における心理状態如何にある。

前示本件の経緯で見たような斉藤巡査の執拗なまでの同行要求、前示各疑点で述べたような同巡査の被告人の行動に対する強制、これらのことによつて斉藤巡査に強制連行されたのではないかとの疑いのある被告人の心理状態は、右待機室に至るまでに既に相当の緊張感と恐怖感に陥ち入つていて、諦めの気持も動いていたと疑える余地十分であり、しかも昭和四五年一一月一三日付検証調書によれば、右待機室は外部から遮断されていて暗く狭くかつ雑然としていて、一般人には陰惨とも写る虞れがあり、このような部屋に連れ込まれて斉藤巡査と相対した被告人の心理状態はさらに緊張の度を加え、未だそれまで警察官などから取調べを受けた経験もなかつたこととも絡んで恐怖感は益々強まり、果ては諦めの心情を深めていつたとしても無理からぬところであろうし、これは被告人の供述全体からも窺われるのであつて、異論を差しはさむ余地は少いといつてよい。

被告人がこのような心理状態にあるとき、斉藤巡査の手が被告人の胸の内ポケットから、それまで見せることを拒み続けてきた前示小冊子などを取り出そうとするような気配に、思わず同巡査に向つて被告人の手が飛んだのではないかとの疑念を持つても敢えて強弁とは言い難いと考える。敷延すれば、斉藤巡査の手が被告人の胸にのびた時、それまで既に被告人は前示のように相当程度の肉体的精神的な心理学上に所謂刺戟を受けていて、これも心理学上に所謂相当興奮の状態にあつたとの疑いがあり、一般的に言つて、普通の心理状態にある場合においてすら、突然の攻撃的刺戟を感知した場合、これに対して無意識の反撃的動作に出ることがあるのは、経験則上からも心理学上からも是認されるところであろうから、まして既に前示度々の各刺戟によつて相当興奮状態にあつたと疑える被告人は、斉藤巡査の右待機室における刺戟的行為によつて、さらにその興奮の度を高め、これが導火線ともなつて、ここに咄嵯に、斉藤巡査に向つて、内ポケット内のものを取られまいとする強い潜在意識を抱きつゝ、無意識の防禦的反撃動作に出たのではないかと疑われるのである。

これを要するに、被告人はその右手拳の甲をもつて斉藤巡査の右側頭部に一撃を加えた事実は明らかではあるが、それは被告人の思わずに出でた挙動、換言すれば、それは心理学上に所謂反射的行為ではないかとの疑いがあり、そうだとすれば、その時被告人に刑法第二〇八条に規定する暴行罪の成立に必要な「暴行の意思」ありとするには疑いありというに帰するのである。

付言すれば、かりにその時被告人に「暴行の意思」ありとしても、本件の経緯と暴行の程度などを綜合して判断し、講学上衆知の可罰的違法性の理論をここに適用すれば、本件暴行は刑法第二〇八条に規定する「暴行」というには程遠く、右条の構成要件に該当しないとされる可能性が強い許りか、昨今論議の高い公訴権濫用云々の所論を肯定する立場に立てば、まさに本件は公訴権濫用の適例であるとして本件公訴は棄却さるべきであるとの結論が出る虞れなしとしない。

以上説示したとおり、本件は暴行罪の成立に必要な「暴行の意思」の存在について疑いがあり確信を抱くことが出来ないので、結局本件は犯罪の証明がないとして刑事訴訟法第三三六条に則り無罪の言渡しをすべきものである。

よつて主文のとおり判決する。(水沢武人)

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